芳賀赤十字病院は地域医療支援病院・地域周産期母子医療センター・災害拠点病院・DMAT指定病院・地域がん診療病院・臨床研修指定病院に指定されています。

病院案内

東日本大震災救護活動記録

災害救護活動

2011年.3月11日に発生した東日本大震災の際には、発災直後に日赤救護班及びDMATが出動し、石巻赤十字病院をはじめする被災地で医療救護活動を行いました。

◇活動内容

▼日程 ▼活動内容
2011.3.11~3.13 東日本大震災の救護へ医療救護第1班出動
2011.3.14~3.17 東日本大震災の救護へ医療救護第2班出動
2011.3.22~3.25 東日本大震災の救護へ医療救護第3班出動
2011.3.22~3.26 東日本大震災 心のケア救護支援(石巻)
2011.3.1~4.3 東日本大震災の救護へ医療救護第4班出動
2011.4.9~4.14 石巻赤十字病院 看護業務支援
2011.4.9~4.12 東日本大震災の救護へ医療救護第5班出動
2011.5.8~5.11 東日本大震災の救護へ医療救護第6班出動
2011.5.16~5.20 東日本大震災の救護へ医療救護第7班出動
2011.5.25~5.29 東日本大震災の心のケア救護支援(釜石)
2011.6.4~6.7 東日本大震災の救護へ医療救護第8班出動
2011.7.7~7.16 石巻赤十字病院 薬剤業務支援

安否確認サイト

http://www.icrc.org/familylinks

日本赤十字社の対応

http://www.jrc.or.jp/photo/l3/Vcms3_00002061.html

石巻赤十字病院 薬剤業務支援

2011年7月7日から16日までの10日間、石巻赤十字病院薬剤部内での薬剤師支援を行って参りました。院内での調剤業務は震災直後の膨大な量に比べたら、だいぶ落ち着いてきている様子でした。しかしながら時間外では、周辺に他の医療施設がないので、外来患者様の数が多く薬局での先生方は今だに激務を強いられていました。そのため、一次救急施設もしくは他の病院施設の早急な設立が切に望まれていました。
現在、薬剤部では「自立」という言葉を掲げていて私達支援者からの独歩を徐々に目指しています。今回私は、病院の職員、患者様、地域の人々とふれあって、石巻に住む人達の生きる力強さを肌で感じました。「支援」という形で現地に行きましたが、返って私の方が勇気づけられました。一日も早く、皆様方が安心して暮らせる石巻に戻ることを願います。

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東日本大震災の救護へ医療救護第8班が出動

救護班第8班は、6月4日から6月7日まで福島県会津若松市の会津保健福祉事務所を拠点とし、福島原発の影響で旅館・ホテルなどに二次避難している住民の診療に、救護班(医師1名、看護師2名、主事1名)に加え、薬剤師、保健師、管理栄養士、こころのケアチームなどの多職種の医療従事者が協働し医療支援にあたりました。

避難生活が3ヶ月近くと長期化しているために精神的なストレスの訴えが多く、避難者だけではなくそこに詰めている行政職員や、対策本部のある保健所の職員、受け入れている旅館・ホテルの従業員まで疲弊しているという状況であり、ストレス過重が心配されました。
お忙しいなか、現地で温かく迎えてくださったスタッフや調整員の方々に深く感謝いたします。

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東日本大震災のこころのケア救護で釜石へ野澤看護師長補佐を派遣

東日本大震災のこころのケア救護で釜石へ行って。

平成23年5月25日から29日まで、岩手県釜石市の鈴子広場を活動拠点として、こころのケア班(9名:大森赤十字病院、深谷赤十字病院、小川ひなた荘、成田赤十字病院、茨城県支部、ボランティア、看護奉仕団2名)として大槌町の避難所を中心に活動してきました。震災後80日が過ぎようとしていますが、海沿いの大槌町は瓦礫も多く、復興が始まったばかりという印象です。
 こころのケア班は、避難所責任者、保健師、医療救護班と連携しながら、リラクゼーションのハンドケアなどをしながら話を聞きました。「ここの魚は美味しいから復興したら観光に来て!」と三陸地震を体験した方から言われた一言が心に残っています。
「負げねっすよ 釜石」で1日も早く復興できることを祈念しております。

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東日本大震災の救護へ医療救護第7班が出動

救護班第7班は5月16日午後に病院を出発、新幹線で岩手県北上市に移動のうえ同地に前泊し、5月17日から20日まで第6班と同じく岩手県釜石市の鈴子広場を活動拠点とし、釜石市の旧釜石第一中学校体育館避難所や大槌町の避難所への巡回診療を行いました。すでに発災から2ヶ月が経ち、診療内容は高血圧などの慢性疾患やかぜ、胃腸炎などが中心でした。
 私たちは大阪府立病院機構救護班の撤収のため、彼らが担当していた大槌町の吉里吉里体育館、赤浜小学校などの避難所への巡回診療を新たに担当しました。釜石市はもちろんのこと大槌町でも仮設の診療所がオープンするなど現地の医療機能は回復しつつあり、救護活動自体は縮小の方向ですが、日赤救護班がしんがりを務めるようです。
 往復に新幹線を利用させてもらい、宿舎のホテルは合宿所のようでしたが一応風呂にも入れ薄いですが布団で眠れましたので、発災間もない頃の救護班には申し訳ない環境でした。
 岩手県立釜石病院の遠藤院長は私の先輩(自治医大1期生)ですが、現地では会えず残念でしたが、釜石への支援に感謝のメールを頂きました。(岡田記)

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東日本大震災の救護へ医療救護第6班が出動

救護班第6班は、5月8日から5月11日まで岩手県釜石市の鈴子広場を活動拠点とし、釜石市の旧釜石第一中学校体育館避難所や大槌町の避難所や個人宅への巡回診療を行いました。
 受診内容は高齢者の方が多く、慢性疾患に対する定時処方や感冒・上気道炎・不眠などが多く見られました。他のグループの避難所ではインフルエンザの方が数人ですが出ていたようです。また、震災後から血圧の上昇傾向が認められる方が多かったのが印象的でした。市町内の医療機関や院外薬局も徐々に再開し始めている状況であり、今後は徐々に市町内のかかりつけ医の医療機関に繋げていくことが患者様にとって有益なことと思われますが、現実には交通機関等の問題もあり難しい面もあると思われます。
 津波の被害がない地域では、街も通常に近い活動をしているところもありますが、大槌町を中心に津波の被害を受けたところは瓦礫も多く復興への道程はまだまだ長いという印象でした。被災地が一日も早く復興できることをお祈りいたします。

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東日本大震災の救護へ医療救護第5班が出動

救護班 第5班は、4/9~4/12まで救護班3班・4班と同じ福島県あづま運動公園内の体育館での救護活動を行ってきました。
 3/11の災害から約1か月がたち体育館に避難された方は約980人と減ってきました。更に4/10から4/14までに約200人の方が被災者を受け入れてくださるホテルや民宿・ロッジなどに移動が決まり、随時移動をされている状況でした。体育館救護所の受診者数は約50人前後。受診内容は高齢者が多く慢性疾患に対する処方。感冒や上気道炎、不眠などです。医療体制は福島市内の医療機関が可動したため、点滴・注射が必要な方・レントゲンや心電図などの検査が必要な方について紹介状をもって医療機関を受診していただく方向へと変わってきました。体育館内での要介護者においては救護班の巡回診療と保健師の巡回での情報を共有し、より良い介護サービスの提供に繋げられるよう毎日カンファレンスを行いました。4/11活動終了したあと震度5弱の地震が発生しました。皆様にはご心配おかけしましたが体育館の避難所また福島市内において被害はなくホットしました。
 被災者の方から「日赤の方にはお世話になった。ありがとう。」「救護所があるから安心していられる。」といった言葉をかけられ励みになりました。

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石巻赤十字病院 看護業務支援

石巻赤十字病院において、平成23年4月9日~14日まで看護業務の支援に行ってきました。私たちはそれぞれ内科病棟に所属し、患者の日常生活の援助を中心に看護を実践しました。病院のライフラインは復旧し、トリアージエリアが撤去されたり、通常の外来診療が開始したりと、病院機能が回復してきており、少しずつ落ち着いてきている時期でした。しかし入院してくる患者は、避難所や、津波を免れた自宅の二階などで生活されている方が多くいらっしゃいました。津波のときの状況や被害の詳細、退院したくても戻る家がない、今後の生活への不安など、看護ケアを通してさまざまな思いを聴かせていただきました。また、長引く避難所での生活で、心疾患、糖尿病などの食事療法ができず、コントロール不良で入院されてくる方もおり、長期的な問題も出始めていると感じました。
 短い期間ではありましたが、現地で温かく迎えてくださったスタッフの方々に深く感謝いたします。
(中澤看護師・清野看護師)

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東日本大震災の救護へ医療救護第4班が出動

第4救護班は、3月31日から4月3日まで福島県あづま総合体育館の救護所での診療、体育館内の巡回診療、福島大学と本宮高校の避難所への巡回診療を行いました。福島県では、地震・津波・放射能・風評被害の4つ「があると話されていました。放射能は見えない敵で先が見えないことへの不安と慣れない避難所生活の疲労が伺えました。また、津波で避難していたお母さんは、「避難しているこの時間がもったいない」と話され、1歩先を見ている言葉が印象に残り、私たちも力をもらいました。被災地一日も早く復興できることを祈ります。

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東日本大震災のこころのケア救護で石巻赤十字病院へ豊田友子師長が派遣

平成23年3月22日~26日まで石巻赤十字病院内のこころのケアセンターにおいて第2ブロック(東京都支部1名・長岡赤十字病院2名・秦野赤十字病院1名・神奈川県血液センター1名)のスタッフで石巻市・東松嶋市の被災者のこころのケアを行ってきました。石巻赤十字病院を出て1km程南に行くと、そこはまるで別世界でした。見渡す限りにがれきの山・山・・・・。『どうして?』との言葉しか出ませんでした。実際に見る津波の跡は、写真でみる原爆の跡に似ていると思いました。そんな中で私たちは、少しばかりの救援物質を車に積み、被災者の方の中に専門家に繋げなければならない人はいないか、また体調や今何が必要かを伺いながら、問題解決の糸口に繋がるようにと避難所を回ってきました。また、病院スタッフの癒しにマッサージや足湯を行いました。
震災は、町を破壊し東北の人々の心も深く傷つけました。皆の協力が必然と実感しました。被災者の方々が私たち赤十字のスタッフを受け入れてくださる姿勢に感謝し、そして一日も早い復興を祈って帰路につきました。

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東北地方太平洋沖地震被災地への医療救護第3班が出動

第3班救護班は、3月22日~25日まで福島市あずま総合運動公園内の体育館救護所での診療活動と体育館内の巡回診療を行いました。避難者は約1300人でまだ外は雪が舞うこともある寒い日が続いていました。体育館内で過ごす方々は、防寒着に毛布をかけている状況でした。
救護所受診の方の多くは、風邪症状や日頃内服していた血圧の薬やアレルギーの薬が切れるといった方でした。また、震災時のことを思い出すことによる不眠や周りの音での不眠、生活環境の変化による便秘の方も多かったです。インフルエンザの方も毎日数人ずつ出てきたのでその方々が休まれる部屋を別にして感染予防をはかりました。
印象に残ったのは、妊娠初期の女性が、「こんな状況下で家族に妊娠したことを言えない」という方がいたことです。その方の今後の対応については、救護班のメンバーの助産師が保健師と連携して決めて行きました。
今回、心のケアを行う時間は取れませんでしたが、救護所の活動に追われるなか、問診時など被災者の話をなるべく聴くようにしました。
最後は次の救護班に状況を詳しく伝達し活動がうまく継続できるようにしました。

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東北地方太平洋沖地震被災地への医療救護第2班が出動

日本赤十字社栃木県支部の要請に基づき、当院から医療救護班第2班が3月14日夜、
宮城県岩沼市役所へ出動し、3月17日夜に無事に帰院いたしました。 救護所内
での医療活動のほか、地元の医師と協力し巡回診療も行いました。現地では電気は復旧
しましたが、まだ断水は続いています。気温が低いため風邪や胃腸症状を訴える方々が
多く、こころのケアが必要な方も増えてきています。

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東北地方太平洋沖地震被災地への医療救護班第1班が出動

日本赤十字社栃木県支部の要請に基づき、当院から医療救護班第1班が3月11日夜、茨城県北茨城市役所へ出動し、3月13日昼に無事に帰院いたしました。

 

芳賀赤十字病院DMATチーム出動

3月11日夜に出動し、仙台医療センターの救急外来支援任務を無事に終了し3月12日夜に帰院いたしました。